アブチラガマ と ひめゆり平和祈念資料館

マー

2015年08月14日 17:09

私のように内地出身者は学校の歴史の授業でいわゆる「日本史」を勉強しますが、沖縄には別に独自の琉球の歴史があります(別の王国だったんだから当たり前ですが)。ふと沖縄の人は歴史の授業で、いわゆる「日本史」の勉強をするのか?はたまた琉球王国の歴史の勉強をするのか?どっちなんだろー?と思い、うちなーんちゅの友人に聞いたことがあります。すると内地と同様に学校では「日本史」の勉強をするとのこと。そうかー琉球の歴史ってすごく面白いのに勉強しないんだね、と言うと「沖縄では歴史の勉強、イコール戦争の勉強なんだよ」と言われました。ここで言う戦争とは70年前の沖縄戦のことになりますが、ああそうだな、とあらためて思い、自分のした愚問を恥ずかしく思いました。
つい70年前にこの地で起こった戦争のことをもっと知りたいなと思うようになり、今日は糸数の「アブチラガマ」と、糸満の「ひめゆり平和祈念資料館」を訪れてきました。

糸数のアブチラガマでは本日から3日間、平和記念学習として南城市民はガイドさんのお話付きで壕内を見学させて貰えます(要予約)。糸数壕は一度入ってみたかったのですが怖くて今まで足を踏み入れたことがありませんでしたが、これを良い機会に行ってきました。
ガマの中は思っていたよりも広い空間でした。一緒に壕に入った中には小さなお子さん(小学校低学年位)もいたので、お子さんにも分かりやすく話をして下さいました。ガイドさんが「(壕の中は)怖くないよー。皆が来てくれて嬉しいよ、ありがとうって言っているはずだからね、ちゃんと見ていってね」と言われているのが印象的でした。懐中電灯を消すと真っ暗になるこの空間で、逃げて来た一般の住民の方々、看護をする学徒隊の女生徒達、負傷兵の方々がどんな思いで過ごしたのだろうと想像をしようとしましたが、どうしても出来ません。今の自分がとてつもなく平和で幸せな時間の中にいるのだなと実感することしかできず、ただ手を合わせることしか出来ませんでした。

午後は糸満まで車を走らせ、ひめゆり平和祈念資料館へと向かいました。ここでは昨日から3日間、午後2時から元ひめゆり学徒隊の方の体験講話を伺うことが出来ると知ったので良いチャンスとばかりに訪れました。今日は資料館の館長を勤める島袋淑子さんからお話を伺うことができました。負傷兵の汚物処理をしていたこと、衛生兵やら負傷兵やら様々な人から常にどなられていたこと(皆極限状態だったでしょうから)、怪我を負った友達が自分は良いから他の人を助けてあげてと言って亡くなっていったこと、優しい兵隊さんもいたこと、などなどなどなど。想像を絶するであろう辛い体験を私達のためにお話して下さったことに感謝しました。
講話をして下さる元学徒隊の方のほとんどは、怪我を負って亡くなった友人をさしおいて自分が生き残ったことが辛い、そんな話はできないという思いを抱えていらっしゃるそうです。でもそんな時は亡くなった友人に対して「○○さん、あなたがお話が出来ない分も私が話をしてくるね」という気持ちで講話をされるのだそうです。だから私達が講話を聞く時は、亡くなった多くの方々の分のお話も聞いていることになります。ひとりでも多くの方に講話を聞いてもらいたいなと思いました。

最後に島袋さんが仰っていたことです。
戦争は人災です。天災は防げないけれど人災は防げます。戦争は始まってしまったら止められません。皆が戦争はしてはいけない、と声を上げれば防ぐことができます。皆さんの声で戦争のない世界にしてください。

娘がもう少し大きくなったら、アブチラガマもひめゆり平和祈念資料館も連れていって、私が知っている事だけでも話をしてあげようと思います。

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